自己紹介①

記事を覗きに来ていただきありがとうございます!佐藤瑛亮(さとうえいすけ)と申します。

この度、ブログを始めることにしました!

「この動画の時代に今更ブログ?」と思われるかもしれませんが、口下手なので、まずは文字で表現できればと思いこの形にしました!

ブログを始めた背景としては、

1.アウトプットが下手くそなので鍛えるため

2.自分の経験や知識・考えを周りに伝え、少しでも周りの人の役に立つため

3.「個人の時代」の中で、自分のアバターとなるメディアを確立するため

活字で伝えることは非常に難しく、ニュアンスや雰囲気で表現ができない分、1つ1つの語呂の選び方や文章構成などが重要になってくるので、しっかりと伝えられるように鍛えていきたいと思います。

こんな凡人の僕ですが、僕が挑戦していることを皆さんと共有して、「えいすけでもできるなら自分もできるわ!」という思いを持ってもらい、みなさんに「知識・勇気・刺激」を与えることができるようブログで発信していきたいと思います!よろしくお願いいたします!


  1. 個人データプロフィール
  2. 学生時代

1.個人データプロフィール

生年月日:1996年10月4日生まれ

出生地:宮城県

出身小学校:富谷市立東向陽台小学校(泉向陽台サッカースポーツ少年団)

出身中学校:富谷市立東向陽台中学校

出身高校:宮城県立泉立山高等学校(ベガルタ仙台ユース)

出身大学:学校法人日本体育大学

学生時代部活動、クラブ活動:サッカー

家族構成:母、父、兄2人、犬

居住地:東京都大田区

2.学生時代

学生時代はサッカーに一筋で打ち込んできました!小学1年生に兄の影響でサッカーを習い始め、大学4年までの約17年間サッカー漬けの毎日でした!

<小学生>

「サッカー小僧」って感じでした!w 朝早く学校に行ってサッカーをし、昼休みになった瞬間に、サッカーをする場所を取りに校庭へダッシュ!放課後は公園でサッカーをしてカードゲームをして、時々友達の家でゲームをすることもありましたが、田舎で公園もたくさんあったので主に外で遊ぶことが多かった印象があります!小学5年生の時は、周りに野球をやっている友達も多く、放課後に野球をして遊ぶことも多かったです!

サッカー以外の、学校生活ではというと、、、お恥ずかしことにかなりのシャイボーイでして、、、

授業中に手を挙げて発表なんてほとんどしたことがなく、強制的にみんなの前で発表なんてしてしまった際には、緊張で顔が赤くなり、頭が真っ白状態のパニック状態になってしまうほど、控えめな性格でした!

そんな僕ですが、サッカーを通して「自己表現」というものを学んだような気がします。ありがたいことに、セレクションや選抜などに呼んでもらうこともあり、その中で「自分を表現することができなければ埋もれてしまう」という恐怖があり、「プロになるためには自分を変えなければ、上を目指すことができない」という半ば、強制的に自分を変えざるを得なかったのかもしれません。

そんなこんなで、小学生のころからサッカーをしていたこともあり僕はサッカーを通じて人格の形成をしてきて今があると思っています。

<中学生>

10番が僕です

学校生活は相変わらず人見知りを発揮してはいましたが、授業中の発表を少しするようになったり学級委員などになったりと、外からの強制力もありながら、少しづつ変わっていったような気がします。

勉強も嫌いな質(タチ)ではなかったので、割と成績も上位の方ではあったと思います。英語のテストで98点を取った時には、「自分は天才なんじゃないか」と思うこともありましたが、今考えれば中学レベルの勉強なんて、多少の自頭の差はあれど時間をかけてしっかりやった者が成績を出せると思いました。

私生活では、中学2年?に生まれて初めての彼女ができます。笑 彼女ができたことは恥ずかしいので親に隠していましたが、どういうわけか親同士で情報が回っており、勝手に親に知られていた記憶があります。笑

サッカーはというと、プロを目指すためにクラブチームでサッカーをしようと考えたりもしたのですが、同級生と一緒にサッカーをしたかったので部活動に入りました。プロを目指す上で、中学生の時期に公立中学でサッカーをやるリスクや不安を考えなかったわけではありませんが、指導者に恵まれていたことと先輩同級生に恵まれていたこともあり、決断はそう難しいものではありませんでした。

結果、部活動は・指導者・先輩・同級生・後輩に恵まれ、2年生の時には全国中学校総合体育大会(通称:全中)に出場することができました。1回戦で敗れてはしまいましたが、自分の中で全国の舞台を経験するのは初めてでとても貴重な体験になりました。「来年こそは!」と意気込んでいた3年時には惜しくも東北大会でベスト8止まりとなり、中学のサッカー生活は閉幕です。

個人としては、県の選抜などにも選んでもらうことができ、多くの貴重な経験をさせてもらうことができました。

サッカーをやっていたことで中学の枠を超えて交友関係や知り合いが増えたことは自分にとっての財産になっています。サッカーをやってなかったら出会えなかった素晴らしい仲間に出会えたことはサッカーをやっていて最もよかったと思う1つです。

<高校生>

左が僕です

高校進学は、中学にそこそこの成績をとれていたこともあり、進学校と呼ばれる、割と周りがしっかりと勉強に取り組む環境に身を置きながら、サッカーはクラブチームに入りました。クラブチームは、運良くセレクションに受かることができ、東北ではトップレベルのベガルタ仙台ユースに所属することできました。

高校の3年間は今までよりも、よりサッカー漬けでした。朝は8時前に家を出て、自転車で40分かけて登校し、放課後はそのままサッカーの練習に行き、9時半頃に帰宅をしてご飯を食べて風呂に入って寝るという生活でした。

自分の中ではサッカー中心の生活で、練習の疲労と練習へのエネルギーチャージのために授業中はほとんど寝ていたような気がします。笑

授業の予習復習もほとんどできていなかったので授業についていけず「聞いてもわからないので寝た方が良い」という境地の発想にたどり着き、ほとんどの時間を寝ていました。

おかげで成績は底辺の底辺でした。笑

化学のテストで「17点」の自分の点数を見た時は、驚愕で笑えてきましたね。

そんな僕が学校で唯一活躍できる場は、「体育祭」「球技大会」でした。球技大会ではサッカーにも出ることはできたのですが、僕らの学校では花形の種目はバスケでした。決勝に行くと全校生徒が見る中で試合をするという激熱のシチュエーションだったので頑張りました!結果、決勝の舞台で試合をでき注目を集めることができ大満足でした。笑

肝心なサッカーはというと、チームの中でも底辺中の底辺でした。紅白戦にも出られずに端っこでコーチとボールを蹴っているくらい底辺の実力で、当時はめちゃくちゃ悔しかったし辛かったです。高校1年の時には、「やめたい」と思うようになり、親にも相談したほどでした。

でもそんな時、同じ境遇を経験した先輩に相談をしたところ「努力を続けていれば絶対結果はついてくるよ」と言ってもらい、改めて「うまくなりたい」「プロになって家族や周りの人に恩返ししたい」という思いを奮い立たせることができました。結果、1年目はそんな状態だった僕ですが、サイドバックへのコンバートや先輩のケガなどの影響もあり、2年時にはスタメンとして定着することができました。最初はチームの足を引っ張ってしまっていましたが、レギュラーとして出る中で、自信と自覚も出てきてたのでチームになじめるようになっていったような気がします。

2年時3年時は全国ベスト16という成績で終わってしまいましたが、世代別の代表選手などとの対戦を経験することができ、自分の今までのレベルからすると夢のような経験でした。

大学進学は、サッカー推薦などではうまく決めることができず、一般受験をすることにしました。12月に最後の大会があったのですが、引退を待ってから受験勉強をするには時間が足りないと思い、苦渋の決断でしたが11月頃に引退をする決意をしました。

高校の周りの人は国公立を受ける人がほとんどでしたが、自分は私立でサッカーが強い大学且つ体育教師の教員免許が取れる学校に絞っていました。若干3か月という短い受験勉強期間ですが、私立で教科数が絞られていたこともあり集中して取り組むことができました。今までの生活では考えられなかったのですが、寝る時間と移動の時間以外はすべて勉強に当て、死ぬほど勉強しました。唯一の娯楽の時間は、通学退学の時の音楽を聴く時間とお風呂の時間で、それ以外はほぼすべて勉強漬けの毎日でした。

結果、志望度が1番高かった日本体育大学に後期で合格をしました。前期が保留だったので、「後期が落ちたら人生終わる」って思ってました。笑

サッカーでプロを目指すことも考えると一浪する選択肢はなく、滑り止めで受けていた大学にもあまり行きたくなかったので、本当に受かってホッとしました。

ここまで死ぬ気で勉強したのは初めてで頭が狂いそうになったこともありましたが、こういった経験はなかなかできるものではなかったのでとても良い経験になりました。

<大学生>

晴れて大学生となり、夢の一人暮らしもスタートしました。生まれ育った地元を離れて親元を離れての生活は最初はとても寂しかった記憶があります。

〇学業

1年時は「THE日体大」というような実技中心の授業で、様々なスポーツを経験することができました。

通常の「国語」「英語」のような座学の授業もあったのですが受験勉強を経験した僕にとっては、かなり簡単に思える内容ばかりで、高校との学力のギャップには驚きましたがテストが簡単で単位が簡単にとれてしまうのでとても楽でありがたかったです。笑

〇アルバイト

大学3年までは朝練のみだったのでアルバイトもしていました!

アルバイトも多種多様なアルバイトをし、良い経験になりました。コンビニ、飲食キッチン、ホテルウエイター、サッカーコーチバイト、スポーツジムプール監視員、デリバリー配達員、飛び込み営業、といろんなバイトができて楽しかったです!

〇サッカー

一般入試で入ったのですが、運よくBチームからスタートすることができました。日体大は当時、各学年が100人弱で部員数は350人くらい居て、チームはA~Eまで5つのチームで構成されており、いわゆる「マンモス校」と呼ばれるような大所帯の部活でした。ですので、Bチームとは言えども、Aチームで40人~50人居たので、トップトップまで行くのはかなりハードル高く感じていました。そんな環境で大学生のサッカー生活がスタートすることになりました。

サッカー以外の部分で言うと、かなり人に恵まれていたな~と感じます。日体大なので「上下関係が厳しいんだろうな。」って思って入ったのですが実態は全く異なっていて、上下関係はかなり緩かったです。笑

他の部活では厳しいところもあったようですが、サッカー部は学年関係なく仲も良く、面倒見の良い先輩などが多くとても良い組織でした。

1~3年時はBチームに所属していたので、練習が朝の6時半からで、冬の朝練は特に地獄で、人工芝のピッチが霜で凍っていることはざらでした。朝起きるのも大変でしたが、現在、朝型人間になっているのですがこれは大学生活の賜物だと思っています。笑

4年間のサッカーを振り返ると、

1年時:Bチームでほとんど試合に出れず式戦出場は1試合くらい

2年時:Bチームでレギュラー

3年時:Bチームで、サブ&準レギュラーという感じで、出たりでなかったり

4年時:Aチームに上がり、9割ベンチ外。公式戦出場約3試合

という4年間でした。大所帯の部活の中で試合に出ることは容易ではなかったのですが、求められていることを常に考えてプレーをしていました。Bチームだけでも50人~60人は居たので、2年時にその中でレギュラーとして出ることができたのはとても自信になりました。

人数が多くてよかったなって思うことが1つ明確にあって、それは「マネするプレーヤーがいっぱいいたこと」です。同じポジションのライバルも多く大変だったのですが、その分色んなプレーヤーのマネをしていいところを吸収できたことで自分のプレーの幅や考え方を広げることができました。同時に「自分のプレーヤーとしての特徴」を意識することができました。ライバルと比較ができることで「ライバルとの差別化するポイントはなんなのか」「自分の長所短所」を理解する良いきっかけとなりました。

そして、4年時には運よくAチームに上がることができました。到底Aチームには及ばない実力でしたが、常に「自分の特徴」「自分が求められていること」を意識して練習や試合に取り組んでいました。しかし、現実は厳しく最初の方にスタメンとして2試合ほど出た後は、ベンチ外がほとんどでした。ベンチにすらもほとんど入れない状況の中でつらい時期もありましたが、プロは目指さず就職を考えていた自分にとっては、最後にトップレベルの選手たちに触れることができたことと、その環境でプレーできたことが自信や経験に繋がりとても良かったと思っています。

そんなこんなで、充実な学生生活を過ごすことができ、社会人になります。

文字数がかなりいってしまったので、社会人編は次回に持ち越したいとおもいます!

それでは!!

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